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ごあいさつ

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 明治になって廃藩置県があり、政府は1県につき1店舗だけに火薬を扱う権利を与えました。その栄誉にあずかったのが、先々代の松田順太郎が営む松田鉄砲店(俗称)でした。


市民に時を知らせていた時鐘台が、明治32年(1899)に焼失しました。富山市長から相談を受けた松田順太郎は、金沢砲兵隊から山砲を譲り受け、空砲を撃って時を知らせたところ、遠くまで聞こえると好評でしたが、大火でヒビの入った壁が崩れるとの苦情が入り、午砲は1年余りで終わりました。

その後、花火で正午 を知らせることになり、東京の玉屋で花火の打ち上げや製造方法について習ってきました。その「ドン花火」は永い間市民に重宝され、大正14年(1925)まで 続きました。現在は富山市の依頼を受け、毎年6月10日に「時の記念日」として正午に号砲を1発、ドンと打ち上げています。

 

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 戦後の復興と 共に各地で花火大会が行われるようになり、「㈲松田銃砲火薬店」では両親や親戚縁者で花火を打 ち上げ、私も県内中を走り回った思い出があります。本格的なものは昭和22年(1947)から始まった神通川の北日本新聞納涼花火です。

その後、転機が訪れたのは、平成4年(1992)、ジャパンエキスポ富山でした。音楽&花火の出合いです。ワイドに設置した花火をテーマ曲に合わせ、タイムに合わせて電気点火していきました。その方法は、花火業界の重鎮だった故・武藤輝彦氏に指導を受けたものです。

 

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 平成12年(2000)のミレニアムの時は、世界中で祝賀花火が打ち上げられ、当社も富山での花火に参加しました。他社の打ち上げたコンピューター制御による音楽と花火のコラボレーションには大いに刺激を受けたものです。さらに衝撃的だったのは、横浜の八景島の「世界の花火ショー」でした。まさにエンターティメントの花火の世界が展開していました。


 当社も花火専用のコンピーターを導入して15年以上が経ち、県内・近県で音楽と花火の演出を手がけています。今では各地の花火大会やイベントで音楽花火を打上げています。観客の皆様に至福のひと時を楽しんでいただけるよう、試行錯誤を繰り返し、さらなる進化を目指しています。

 

 

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